「しゃらくさい人生覚え帳」120115(日)曇り

紀三井寺 大仏
紀三井寺 大仏

 例の回状のレスポンスがボツボツと返って来る。T.M.君のメールも早かったが、K.A.さんには年末に出したので、新年早々直ぐにメールで返信頂いた。

  昨日はメールアドレスが長らく分からなかった調布在住のA.Y.君から応答があった。以前、大相撲東京場所に誘い、一緒に観に行った時にもトイレばかり頻 繁に通っていた前立腺肥大症状がその後どうなったか?訊ねたところ、実は前立腺癌だったらしく手術をし、体力回復に努めていたとのこと。今朝もこちらの返 信に対する短いメールが届いていた。矢張り、どうやらPCよりも携帯の方へ送信した方がよさそうだ。

  ところで、今朝の日曜美術館ではベン・シャーンの展覧会の案内をしていた。葉山美術館で開催中という。鎌倉近代美術館は無論、何度も行ったことはある。だ が、葉山館の方はどうだったろう?ちょっと自信はないのだが、一度だけ行ったような気もする。しかし、はっきりした記憶は無い。
  いずれにしても、今、金の心配さえなければ、直ぐにでも出掛けて行くのだが…。こういう時は、矢張り金の心配の無いのが、良いことになるのだろう。それに しても観に行きたい。三崎辺りで捕れた魚も食ってみたいが、今は放射能汚染も無視できない。全く心配がないと言うことはあり得まい。

  それにしても、東京や近辺に住んでいる連中は、私の眼からすれば、皆鈍感に映る。これは屹度私が地理的に或る距離を置いて眺めることが出来るのと、東京に 暮らし、その中に埋没している彼等にしてみれば、不安を抱きながらも周りが平静を装っているのを見て、自らをも安心、納得させ、それによって、己の不安、 不信感を誤魔化し、何かに紛らわせ、悲観的な状況を極力考えたり、感じたりしないように過ごしている様子がありありと見え、それを横から私は、よりクール に観察し得るからなのだろう。

  だから、そんなところに住まざるを得ない人々は、或る意味では気の毒で、哀れな姿にも見えるし、彼等自身に意識のあるなしに関わらず、鈍感な神経の氾濫と言う風に映るのであろう。しかし、それは東京という大都会の中に埋没し、漂っている連中だけの問題には留まるまい。日本列島に生息している人間全体が外の國から観れば、さぞ同じように見えることだろう。

 悲劇的状況に取り乱すこともなく、略奪や反乱も起こさず、ひたすら日常生活において平静を保とうとし、個人の自由な思考をマスという顔の無い多くの数や量の圧力によって無力化するという日本人の生き方は、個性のより確立されたドイツ人やフランス人のようなヨーロッパの人々からすれば、矢張り、可成り異常な、理解に苦しむような状況なのかも知れない。

 今朝の朝日新聞読書欄でも紹介されていた、フランスのレジスタンス活動家、ステファン・エセル著の「怒れ!憤れ!」はその対極にある生き方と言えるだろう。その紹介文の大見出しは「不正義に個人として立ち向かえ」となっており、その文中には、こんなエセルの一節が紹介されている。『よい人間であること、あるいはよいことをすることなど、どうでもよかった。意味のある人生、責任のある人生を送ることが重要だったのだ。』

 私は、この考え方の方により共感を覚える。つまり、重要なのは他人の思惑などではない。自らの責任を覚悟することによって初めて得られる”意味のある人生”こそが生きるに値する、ということなのだろう。

 先の大戦の際にも、また今回の大震災により誘発された原発事故においても、責任を取ろうとしないどころか、責任を回避し、誤魔化し通そうとするリーダー(責任者)共と組織(大本営同様の関係官庁、そして大企業など)ばかりで、そこには何の進歩も反省も見られない。何度繰り返しても改革はあり得ないのか、懲りない人々にも呆れ果てたものだ。言葉もない。

 (文章としては、ここで終わった方が、常識的には収まりがよいのだろう。でも、敢えてそれに逆らい、次のように続けて終わることにする。)

 それでも尚、私は言葉を発し続けよう。たとえ、読者や隣人たちに顔を背けられ、顔を顰められようが、そんなことは恐れず、発信し続けよう、自分の信ずることを発言し、伝え続けよう。それが、この時代を生きた私の責任である、と信じるからだ。