「詩をきっかけとして考える会」10月例会案内」

嵐山竹林
嵐山竹林

 去る10月3日に海南駅前”ヴァンサンカン”で「詩人 山田 博を偲ぶ会」を開催したばかりで、気分的にそれに感(かま)け、つい本例会の案内が、このように土壇場となったことを先ずお詫びして置く。


 9月例会では「国家」について書かれたPAM同人前田 保試論を下敷きにして話を進めた。参加メンバーの内、城の立場は「国家」社会契約説(国民は抵抗権を行使し得る)の内でも柄谷行人の「国家廃絶の世界革命」実現のための「贈与による永遠平和の樹立」説が一番抵抗感がない。
 ただ一方で、そのように理想的に事態が運ぶか否か?可成り、というか少なからず、悲観的な思いも払拭できない。


 むしろ、今日Webで辿り着いた「共認の輪」”るいネット”(この団体については何も知らなかった。念の為チェックしてみると週刊朝日との間に訴訟問題があるようで、毀誉褒貶が存在するようだ)それは、以下の話の本筋とは関係ないので、どうでもよいのだが、ここに投稿されて佳作となった文章の内容の方が、部分的には同感できるものがあるので、紹介して、私見を述べたい。


 以下、同文章引用開始『269251 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?
国家が急速に役立たずになっている。その危険性を知っておく
新聞会 12/10/02 AM04
Darknessリンクより転載します。
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~前略~

「国家」という組織が動揺している

日本でも民主党は掲げてきたマニフェストをすべて反故にした。

国民は政治家の掲げるマニフェストを見て選挙で政治家を選んだが、政治家は選ばれたとたんに態度を変質させた。

今や言っていたこととやっていることが、完全に真逆になってしまっている。

本来ならば、この時点でもう政権を担う資格はないのだが、言っていることとやっていることが違ったのは自民党も同じだったので、もう日本は「国家が体をなしていない」という言い方ができる。

アメリカも状況は変わらない。

国をチェンジすると豪語して大統領になったバラック・オバマ大統領はまったく何もチェンジできなかった。アメリカは衰退する一方だ。

ドイツでもフランスでもそうだ。』(中略)

『国家は、企業と国民の間で引き裂かれる

経済も情報もすでにグローバル化した。

しかし、そこに文化のグローバル化、国家のグローバル化が入ったとき、国民の間に大きな抵抗感が生まれた。

文化がグローバル化するというのはどういうことか。それは、自国の文化がなくなるということである。

国家がグローバル化するというのはどういうことか。それは、国家が国民のために動くのではなく、国際社会のために動くということである。

世界中の多くの国民が、それを拒否した。

しかし、企業は逆だ。世界中の文化が単一であり、国家も国際社会のために動き、単一化したほうが仕事がしやすい。

グローバル社会の中で、企業は効率性を求めている。効率性は「流通・経済・情報」の動きを加速させる。

競争に打ち勝つために、賃金の安い国に工場を作り、自国の労働者を切り捨てる。

企業がグローバルな競争に打ち勝つには、安い賃金を求めて海外に出ていくしかない。だから、企業は常にグローバル化の立場にある。

この図式を分かりやすく言えば、このようになる。

「国民は、グローバル化を求めていない」
「企業は、グローバル化を求めている」

国家は、この2つの板挟みに合っている。

国家が国民を守ってグローバル化を阻止すれば、企業から突き上げられる。国家が企業を守ってグローバル化を推し進めれば、国民から突き上げられる。

どちらからも敵視され、どちらにも不要だと思われる。

「国家」はどうなるのか。恐らく、存続が不可能な状況になって、最後に自壊していくことになる。


国家という概念そのものが機能不全に

国家という大きなシステムが壊れていこうとしているのが今の時代だ。グローバル経済、グローバル化がとめられないのであれば、ますます国家は取り残されていく。

世界中のあちこちの国家が国民から「要らない」と突き上げられ、企業から「邪魔だ」と邪険にされている。

そして、国家は累積債務や国民の不信によって現実的にも存続が難しい状態になっているのだから、これから起きるのは、国家という存在の破壊だ。

分かりやすく言えば、「国」が消滅するということになる。

「国」がなくなるとは、現代人には想像をつかない世界だ。しかし、国民も企業も「役に立たない政府はいらない」と思っているのだから、それは遅かれ早かれ捨てられる。

あり得ない話ではない。「日本」という国を考えてみれば、理解できるかもしれない。

国民は、日本の国家をどう思っているのか。正直なところ、もう誰も政治に期待していない。

自民党も民主党も役に立たない。しかし、選ぶ政党がない。だとすると、選挙を何回やったところで結果は同じだと思っている。

企業もまた、日本の政府が邪魔だと考えている。政府は役に立たないくせに税金をがっぽり持っていく。官僚は様々な規制をかぶせて企業活動を制限する。

どちらから見ても、日本政府=国家は「やるべきことをやっていない」のであり、歳入も歳出も管理できずに「混乱を増長させている」ものなのだ。

日本だけではない。グローバル化が進んだ社会では、あらゆる国がそのようになってしまっている。

これは、もはや国家という概念そのものが機能不全に陥っているということだ。


今の「国家」という形はもう存在できない

是正されないものは捨てられる。だから、今の「国家」という形はもう存在できずに消えてしまう類いのものだと言える。

国家が崩壊していくのであれば、崩壊したあとに何か別の形のものが出てくるのだろうが、それが何かはまだ分からない。

しかし、まずはあらゆる国の国家がグローバル化によって混乱し、最後には崩壊するのだと考えれば、「これからどうなるのか」と五里霧中に放り出されなくて済む。

(1)グローバル化が加速する。
(2)国家が取り残される。

今はここまで来ている。これから先はこうだ。

(3)国家が問題に対処できなくなる。
(4)世界が大混乱する。
(5)国家そのものが同時崩壊していく。

ひとつの国が崩壊するのではない。崩壊するときはバタバタと崩れていく。皮肉にも、グローバル化によって全世界がつながっているからだ。

そして、この「国家の同時崩壊」が起こるのは、そんなに遠い未来の話ではない。

だから、突如として国家崩壊の事態に放り出されて驚愕するよりも、「いよいよ来るべきものが来たか」と覚悟しておいたほうがそのときになって慌てずに済むはずだ。

時代に取り残されたものは捨てられていく。次にやってくる大きな波は、想像を超えるものになるのではないだろうか。』引用終了。

 概ね上掲文章の内容は現状を言い当てている、と考える。それ故、今や機能不全に陥りかけている「国家」とは一体何なのか?と今後の展望を考えるために、私は遅まきながら、この問題を提起し続けて来たのである。


 今のような形態での国家は、現在発生している隣国とのもめ事を観れば、「国家」がしゃしゃり出ることによって事態を益々悪化させるだけである事実からしても、いずれ崩壊の道を辿る他ないであろう。ただ引用した文章には、今後どうすべきか?の方向性は示されていない。

 
 ここで詳しくは述べないが、私論としてはこれまで例会で取り上げてきたテーマ中の”国家”と対比して掲げて来た”個人=人間”に焦点を置きたい。このように行き詰まった局面を打開することが出来るのは”人間”にウェイトを置いた生き方や考え方しか無いのではなかろうか?

 
 人間が人間らしく、驕ること無く地球上に生かされている生き物の一つの「種」として分を弁えた上で、欲望をあからさまにすること無く、謙虚に共生を図って行く。それ以外に考えられる展望はあるだろうか?(これは私個人の考えなので、他の参加メンバーの考え方も聞いて行きたい)


 ところで、9月例会レポートに戻ると、他の参加メンバーK氏とT氏のご意見は、前田試論に基づいては「具体的に、どの立場も採り得ない」という結論で、補足すれば「現実的な考えを加えた修正を要する」というように私には理解された。


 それで、10月例会では、この点についてご両所のご意見を伺うことを中心とし、時間があれば、上掲の文章および、もう国家は当てにしない「個人=人間の時代」への考察を深めてみたい(文責:城 久道)。


 10月例会は下記の日時、場所とする。(尚、例会場前の紀陽銀行駐車場は土日、祭日に限り、開放されているので車の方は利用可能)


場所: 紀陽銀行本店裏カフェ&パブ「トリニティー&ユニティー」2階予約席
日時: 10月13日(土)午後1時30分より

「トリニティー&ユニティー」TEL: 073-423-5220