「詩をきっかけとして考える会」7月例会案内

高野山
高野山

 いつものように1ヶ月くらい前に、ミニコミWebサイト「わかやまイベントPLAZA」上のinformation(イベント情報)コーナー http://www.my.zaq.jp/joh/ に開催日時と場所を予告済みであるが、間近に迫った7月例会を再度案内する。

 

    場所: 紀陽銀行本店裏カフェ&パブ「トリニティー&ユニティー」2階予約席
    日時: 7月24日(水)午後1時30分より

         「トリニティー&ユニティー」TEL: 073-423-5220
              

 例会では、以下に述べる内容を中心に話し合いたい。詳細は以下の通り。

 

 1.私事ではあるが、7月13日に私の母は満102歳の誕生日を迎えた。102歳の人間を間近で観察するのは、無論私にとっても初体験なのであるが、いつも色々なことを考えさせられる。


 他人は気安く「長寿おめでとうございます」と挨拶してくれるが、傍に居て、それなりに責任を持っている人間としては、心から同感して、ありがとうございます、と喜んでばかりも居られない。言う迄も無いが、自分を産んでくれた母親だから、いつまでも死なないで元気で居てくれる、と言うのは単純に嬉しいと感じるのは当然だ。

 

 しかし、一方で母を観ていると、「人間は一体何歳くらいまで生きるべきか?」と常に、私は考えることになる。(中略-次いで、結論に至る説明になるのだが、この例会案内自体が孫達の夏休み来訪で大幅に遅れ、その例会が目の前に迫ったので、いずれ別の場所で発表することにし、ここでは別のテーマも併せて極簡略に紹介して、案内するに留める)

 

 2.インターネット上のAmazon.comのことは、程度の差こそあれ、皆さんご存知のことであろう。以前、これについて述べた記憶も有るが、私は地方都市に居住しているという環境にあり、Amazon.comの物品(特に書籍やPC周辺機器)購入システムを日頃から非常に重宝し、大変役立つ仕組みと、単純に捉えていたのだが、7月13日の朝日新聞朝刊の(限界にっぽん)第4部・続「追い出し部屋」:2「自分が機械になった気分」■日通管理職の「アマゾン行き」商品棚の海、探す「注文」…という記事に行き当たり、胸を突かれた。

 

 兎に角、注文した商品の到着が非常に早い。翌日、お急ぎ便で到着するためには、後何時間以内に発注すればよいか、時々刻々と表示されている。24時間を切っていても全

く問題ない。それこそタイムリミット内に処理が完了すれば、必ず翌日には商品が到着する。私は何度も深夜に注文して翌日商品を受け取ったことがある。ASKULなどでは商品届け先の場所や商品の種類による制限があるが、Amazon.comには、そんなものは一切無い。

 単純に、この素晴らしいシステムはどのように運営されているのだろうか?と漠然と考えていたが、この記事を読みショックを受けると共に、一体「便利さ」乃至「効率」というものを何処まで求めるべきなのか?いや、「便利さ」or「効率」というものが本当に、どれほどの価値があるのか?労働者の人間性まで否定するようなやり方で手に入れるほどの価値のあるものなのだろうか?という疑問に突き当たる。

 

 この問題は、もう一度改めて考えてみる必要がある。実は、これは「便利さ」や「スピード」だけの問題では無い。NHK BS放送のドキュメントWAVEを視聴していても、先進国の人々がディスカウント商品を求め、ブランド品を出来るだけ安価に手に入れようとすれば、その皺寄せが下請けの発展途上国の人々に悲惨な状況をもたらしているという現実、また大量消費国の極端なディスカウント指向が、労働者自らの賃金の低下をもたらし、派遣社員の増加などによる労働環境の悪化を加速させているという事実に気付くと、根本的な問題は、一握りの富裕層のための市場原理主義が、地球上の殆どの人間だけに留まらず、このプラネット上のあらゆる生き物を破壊し、破滅させる方向にしか機能して居らず、その問題解決を意識し、実行するしないに拘わらず、世界中の殆ど全ての人々が、この非情なモンスターに蹂躙され、翻弄され続けているという事実に尽きることになるのであろうか(文責:城 久道)。